SARSの季節/口罩時光

2003年5月5日(星期一)

5月5日、月曜日。台北。くもり時々雨。

あこがれの台大醫院に入院することなく、最終日を迎える。マスク不足に対応するため、ブラジャー工場をマスク工場に変えた人のニュースが流れている。滞在中、ニュースは本当にSARS一色だった。SARS以外のニュースで私が見たのは、中國海軍の潜水艦事故、トルコの大地震、毎日新聞カメラマンのアンマン空港爆発事件、日本のAV女優・鈴木麻奈美の来台。これだけである。なぜか最後のが一番大きい扱いだったが、看護婦姿で登場したり、健康チェック法について語ったり、SARS関連ニュースと言えなくもない。

ホテルをチェックアウトし、國光客運のバスで中正國際機場へ(110元=395円)。乗車時に、額での体温チェックがあった。空港で、高くてまずい朝食を食べる。叉焼包、焼賣、魚香茄子、豆漿で353元(1267円)。どこの空港もそうだが、皆が利用するからつけあがるのである。「空港のレストランを利用しない運動」を展開すべきだ。

出国審査では、サーモグラフィでの体温チェックがあった。知らない間にチェックされているのは不愉快だ。ゲートはすいていたが、行きと同じく小さい飛行機で、9割くらい埋まる。日本人観光客は行きよりも多い。聯合報を読んだりして過ごし、2時10分頃、成田空港に着陸。飛行機を降りるとすぐにマスクをはずす。正直言ってほっとする。これまでの旅の終わりには、感じたことのない心情である。

台灣の状況は、出国時と比べて大きく変化している。日本行きの飛行機は飛んでいないのではないか、日本へ着いたら強制隔離されるのではないかといった心配すら、なかったわけではない。検疫での黄色い紙や体温チェックは必須だと思っていた。ところが、検疫の前での会話は次のようなものだった。「どこから?」「台湾から」「どうぞ」…。素通りである。体温チェックすらない。状況の変化に対してあまりにも無頓着であり、まじめに感染を予防しようという意識が感じられない。

今日はゴールデン・ウィーク最終日。今年の海外旅行者は少ないと言われていたが、入国審査はかなりの混雑だ。マスク姿も見かけず、ゴールデン・ウィークの終わりの平和な光景である。銃器と薬物の取り締まり強化中だとかで、税関では、荷物を開けさせられている外国人の姿が目につく。銃器や薬物の取り締まりも大事だが、どうもピントがずれている。

3時の総武線快速に乗る。マスクをしないで電車に乗るのは久しぶりだ。東京はお天気もよく、なんだか平和である。鎌倉に着く。夕方の鎌倉にはまだ多くの観光客がいて、ゴールデン・ウィークの浮かれた気分が残っている。平和である。家に着く。今日の歩数はわずか4087歩。テレヴィをつけると、ニュースはタマちゃんに白装束の集団だ。平和である。

出発の少し前から今日までに、SARSに対する私の意識は、「別にどうってことない」から「もしかしたらやばいかも」へと変化していった。それは台灣に住む人々も同じだったと思う。台灣での突然の感染拡大は、他の地域でも類をみないもので、台灣の人々にとってもショックだったに違いない。そろそろ収まるのではないかという期待もまだ残っていて、しかし状況はだんだん悪化していく。失望と混乱の中で、徐々にそれを受け入れつつあるというのが、現在の状況である。私たちはこのようなときに、ちょうど居合わせることになった。もう一度体験したいとは思わないが、非常に貴重な経験をしたと思う。


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作成日:2003年7月15日(火)
更新日:2004年5月30日(日)