1996年6月10日(星期一)

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第3の不幸-洪水-

もうすぐTampinというところに来て、列車は突然洪水の中に突入する。地面は一面水びたしで、川と思われるところが渦を巻いている。乗客はみんなおもしろがって眺めていたのだが、列車は次第に徐行し始め、やがて停まってしまった。何のアナウンスもないまま、Tampinへの到着予定時刻17:51を過ぎる。

30分ばかり経って、列車は予告なく動き始めた。ただし後ろ向きに。来るときには通過した最寄り駅 Batang Melakaに停車して、やっと「洪水のため、前進できません。指示を待っているので、外に出ないでお待ち下さい」というアナウンスがある。車内アナウンスはすべてマレイ語と英語である。通路を挟んだ隣の席は、 陳國華 (Mark Chan)がおじさんになって不機嫌になったような雰囲気の華人だったが、アナウンスを聞いて“ [口艾]呀 (Ai1Ya1)”とつぶやくのがはっきりと聞こえた。

列車は動かず、バスは来ない

すぐに水は退くだろうという楽観的観測をよそに、列車は動く気配をみせない。やがて「本日Kuala Lumpur(クアラルンプル)より先に行く方はスタッフまでお知らせ下さい」とのアナウンスが入る。この列車はKuala Lumpur行きであるが、その後Kuala Lumpur発の夜行がある。

次第に食糧の調達に行く人が増える。動きさえすればすぐに着くので、食事のことは気にしていなかったのだが、さすがに20時くらいになるとおなかがすいてきた。食堂車は閉まっている。駅の前に、大音量で福建語歌謡をかけている食堂があり、みんなはそこに買いに行ってるようだ。いつのまにか降り出した雨がけっこう強いこと、外に出ている間に列車が出たら困ること、マレイシア通貨をRM1.5しか持っていないことから、買いに行く気にはなれない。

列車の中にはモニタがあって、映画などを流しているのだが、ふと見ると、船が浸水して沈みかけている非常にタイムリィなパニック映画(英語)をやっている。こういうの流しておくなんてちょっと趣味が悪い。別に見ていなかったが、しばらくして「この食糧であと3日もたせなければ」という台詞が突然耳に飛び込んできた。見ると、主人公と思われる人たちはボートで漂流している。私たちの食糧はポテトチップス1/3袋だ。これでどのくらいもたせなければならないのだろうか。現実の状況がだんだん映画に近づいている。それでもまだ、この状況をおもしろがっている余裕がある。

21時くらいに車掌さんが回って来て、「Tampin行きのバスが出ます。乗る人はホームに降りて下さい」と言う。まだまだ楽観的な私は、すぐにバスが来るものと思って希望に満ちてホームに行く。これが初めて踏むマレイシアの土というわけだが、そんなことを実感している余裕はなかった。狭いホームには、すでに二、三十人くらいの人が降りている。駅舎の中では、おそらくKuala Lumpurより先に行く人々が集まっていて、電話したり話し合ったりしている。いつのまにかいなくなっていた陳國華おじさんは、ホームや駅舎をそわそわと歩きまわっていた。

かなり待ってもバスは来ない。鉄路だけが駄目なのか、道路も遮断されているのか、情報は全くない。しばらくして、寺田農風車掌さんが、数少ない外国人を気づかってか声をかけてくれる。「バスの台数は限られているから、順番に輸送するんですよ」と言ってたが、順番もなにも、バスは1台も来ない。

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更新日: 1999年2月13日(土)