1996年6月14日(星期五)

page 1

Butterworthへの旅

[KL中央駅]
◇夜明けのKL中央駅◇

Pinang(ペナン)に行くので、まだ暗いうちにチェックアウトし、宿泊費をクレジットカードで払う。朝食が始まる7時より前に出なければならないので、タダの朝食を食べることができない。外は小雨が降っている。

7:45発の列車でKLを発ち、Butterworth(バターワース)に向かう。食堂車でマフィン、サンドウィッチ、紅茶の簡単な朝食をとる(RM6.10、約¥140/人)。“Dua teh(紅茶2つ)”とマレイ語で注文したのに、売店のマレイ人の女の子に“Jepun?(日本人?)”と言われてしまった。

食堂車に行くとき、新聞の芸能欄だけ持って行ったら、案の定、席に置いた残りの新聞は、通路の向こうの華人のおばさんたちのところに移動していた。朝食後は芸能欄を読んだり日記を書いたりして過ごす。

今日の新聞: 新生活報

今日の新聞は、KL中央駅で買った新生活報(New Life Post)だ(RM1)。これも繁体字で書かれている。B4くらいの大きさの、一面からいきなり芸能欄(今日は梅艶芳だ)の新聞で、友人に「あっ、夕刊フジ買ってる…」と白い目で見られたが、一度買ってみたかったのだ。明日の日付になっているので日刊ではないかもしれない。明日の予定だったKLでの張信哲のコンサートが中止になったという記事が出ている。

フェリーでPulau Pinangへ

二度目のマレイ鉄道は何事もなく快適に進み、予定(13:40)より少し遅れてButterworthに到着。KLから約6時間の道のりである。

ButterworthからはRM0.40(約¥18)、帰りはタダというヘンなフェリーに乗ってPulau Pinang(ペナン島)へ渡る。改札は、香港の天星小輪(Star Ferry)と同じように、直接お金を入れる自動改札だ。

[ペナン島]
◇船上よりPulau Pinangを望む◇

Pulau Pinangまでは20分くらい、疲れずに旅情に浸れる、ほどよい時間である。本当は空腹で旅情どころではないのだけれど。どんより曇っているので見通しはよくないが、徐々に近づいてくるPulau Pinangには、円筒形の高層ビルKOMTARをはっきりと認識することができる。対岸のButterworthに目を移すと、ここには工場などが並ぶ。

Pulau Pinangに着いてフェリーを降り、売店の並ぶフェリー乗り場を抜けて外に出ると、タクシーやトライショーの客引きがいる。ただし、いることはいる、という程度で、あっけないほどにしつこくない。

Pinangについて

ペナン島は、マレイ語でPulau Pinang、英語でPenang Island、華語で檳榔嶼(Bing1 Lang2 Yu3)と呼ばれている。これらはすべて同じ意味で、島に生えている檳榔にちなんだものである。マレイシアの独立前には、イギリス人のつけた名前、Prince of Wales Islandというのも使われていたようだ。

島の北東部の都市部は、Georgetownと呼ばれている。これは、イギリス人がGeorgeIII世にあやかってつけた名前である。華語では檳城(Bing1 Cheng2)であるが、喬治城 (Qiao2 Zhi4 Cheng2)という呼び名もあるようだ。これはGeorgetownの音訳だろう。

Pulau Pinangは、1786年にイギリス東インド会社の植民地となり、その後、海峡植民地の中心の座はシンガポールに奪われたものの、貿易港として発展してきた。現在、 Georgetownはマレイシア第2の都市で、ペナン州は、マレイシア13州中唯一のマレイ人口が優勢ではない州である。

ペナンといえば、最近はBatu Ferringhiなどのビーチ・リゾートが有名だが、ビーチにもマリン・スポーツにも興味のない私にとっては、まったくの関心外である。私の関心は、なんといっても、伝統的な景観を残すといわれるGeorgetownのチャイナタウンだ。

↑index→つづく

星馬好日しゃおがん旅日記ホームページ

Copyright (C) 1996-1999 by Oka Mamiko. All rights reserved.
更新日: 1999年2月14日(日)