1996年6月9日(星期日)

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チャイナタウンの景観-店屋、五脚基、會館-

チャイナタウンを歩くことが、今回の旅の主目的のひとつである。特別な目標があるわけではなく、ただ街を歩いて、街並みや建物やそこで暮らす人々を眺めたかった。私は庶民が暮らしているごちゃごちゃした街並みが好きだ。京都よりも東京の下町の方が好きだし、パリでも16区やマレ地区もいいが、もっと下町の方がいい。そんな私にとって、星馬のチャイナタウンの景観は格別美しく思える。そのチャイナタウンの景観をかたちづくっているもの、それはショップハウス(店屋)と五脚基である。これらの簡単な説明を、『東南アジアのチャイナタウン』 [SG8]の『シンガポールのチャイナタウン』の項から引用する。

チャイナタウンの景観で最も顕著なものは、家屋形態であろう。チャイナタウンの住人は伝統的に、ショップハウス(中国語で「店屋」)と呼ばれる棟割り長屋形式の店舗兼用住宅に居住してきた。

ショップハウスはふつう二、三階建てであり、一階は商店、上階は居住用になっている。ショップハウスの平面形は、間口が狭く奥行きが深い短冊型であることが、共通する特色である。ショップハウスは、中国の伝統的建築様式にヨーロッパのスタイルを加味したもので、窓や柱などには東西文化の混合がみられる。(p62)

ショップハウスの道路に面した側は、日本の深雪地帯でみられる造り込み雁木状の長廊になっている。日本では、これらは「亭仔脚」(中国大陸では「騎楼」と呼ばれる)として知られているが、シンガポールやマレーシアの華人は、ゴ・カキ(go-kaki)、あるいはカキ・リマ(kaki-lima)と呼び、中国語では「五脚基」と表記される。これは、福建人の呼び方が一般化したものである。一方、イギリス人はfive-foot wayと呼ぶ。「五脚基」の名称は、シンガポール開港直後のラッフルズの都市計画に由来する。その計画では、すべての建物の前面に、覆いのある約五フィート幅の歩道を設けることが要求された。(p64)

また、チャイナタウンに特徴的な建物として會館(会館)がある。同じく[SG8]の『東南アジアの華人』の項から、會館に関する記述を引用する。

会館は、出身地、姓、職業などが同じである華人が集まって組織される。同郷者によって結成されたのが同郷会館(福建会館、潮州会館、広東会館、客属総会など)である。同郷といっても、その地域の範囲は、省、府、県、村など多様である。

同じ姓を持つ者によって組織されたのが、同姓会館(宗親会ともいう)である。楊氏公会、陳氏公会、符氏社などが、これにあたる。もともと中国人は、同姓者は歴史をさかのぼると、共通の祖先に達すると考えてきた。

また、華人の同業者は、米商公会、茶商公会、建築商協会などといった同業会館(行会ともいう)を設立する。シンガポールの三輪客車工友同業会や當商公会は、それぞれ輪タク車夫、質店経営者の会館である。東南アジアの華人社会では、華人の出身地と職業はきわめて密接な関係を有している。すなわち、ある職業は特定の方言集団によって占められる傾向が強い。このため、同業会館といっても、同郷的性格が濃厚なものが多い。(p21-23)

これらの會館は、植民地時代から相互扶助機関としての機能を果たし、社会福祉や経済的援助など行ってきたようだ。

牛車水を歩く

[牛車水]
◇牛車水◇
[安溪會館]
◇安溪會館◇

チャイナタウンめぐりの最初がここSingaporeである。Singaporeの建設者、Thomas Stanford Raffles(トーマス・スタンフォード・ラッフルズ)による都市計画では、民族集団ごとに居住地が区画され、シンガポール川(Singapore River)河口南部の商業地域に隣接した場所が華人の居住地に設定された。現在では市街地のほとんどがチャイナタウンのようなものであるが、一般にChinatownと呼ばれているのは、この古くからのチャイナタウンの中の牛車水(Kreta Ayer)というところである。チャイナタウンの中でも、方言集団ごとにすみわけが行われてきた。現在(1980)、華人の43%が福建人、22%が潮州人、17%が広東人であり、Singaporeの華人社会は福建人が中心だが、牛車水は広東人街である[SG8]

牛車水も近年再開発が進み、古いショップハウスは消えつつあるということだが、実際に牛車水を歩いてみると、思ったよりも古いショップハウスが残っている。真新しいパステルカラーのショップハウスばかりが並ぶ通りもあるが、まだほとんど古いままのところもある。牛車水には、四邑陳氏會館(広東系)、安溪會館(福建系)、番禺會館(広東系)、東安會館(広東系)などの會館があったが、これらの會館も、設立された当時の古い建物もあれば、建て替えられて新しくなっているものもあった。

ショッピング・センターも幾つかあるが、どこもごちゃごちゃした庶民的なところで、チャイニーズ・ポップスがかかっているのが嬉しい。CDの値段はSim Lim Squareより少し安い。LDは音楽ソフトも豊富で、台湾でも見たことがない台湾ミュージシャンのLDをいろいろ見かけた。

牛車水大廈という、HDBフラットの下が街市(市場)とホーカーズ・センター(屋台街)になっているビルの前に行くと、木を植えた花壇のようなところの縁に、暇そうなおじさんやおじいさんがたくさん腰掛けていた。屋台や露店がなくなって、路上にはかつてのような活気はなくなってしまったかもしれないけれど、こういうおじさんを見ると、「あぁ、チャイナタウンだなぁ」という感じがする。おじさんたちには悪いけれど、なんだかほっとする。探す必要がないくらいたくさんゴミ箱があるにもかかわらず、新聞紙やゴミがけっこう落ちていて、こういうのもなんだかほっとする(誤解のないように言っておくが、私は必ずゴミ箱に捨てている)。

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更新日: 1999年2月13日(土)