電気公園

■夏目漱石:『満韓ところどころ』(「夏目漱石全集7」[B266])

 やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。二人はこの麗かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へ這入らずに、すぐ右へ切れた。気がついて見ると、遥向うの岡の上に高いオベリスクが、白い剣のように切っ立って、青空に聳えている。その奥に同じく白い色の大きな棟が見える。屋根は鈍い赤で塗ってあった。オベリスクの手前には奇麗な橋がかかっていた。家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。余は遠くからこの三つの建築の位地と関係と恰好とを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。
 あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵えてるんだと云う説明である。電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危しくなって来た。よくよく糺明して見ると、実は今月末とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。(《八》pp452-453)

■夏目漱石:「彼岸過迄」[B519]

 森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽係りを勤めている由を書いて、来年の春には活動写真買い入れの用向きを帯びて、ぜひとも出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽しみにして待っていると付け加えていた。そうしてそのあとへ自分が旅行した満州地方の景況をさもおもしろそうに一口ぐらいずつ吹聴していた。中で最も敬太郎を驚かしたのは、長春とかにある博打場の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まるきたないシナ人が、折詰めのようにぎっしり詰まって、血眼になりながら、一種の臭気を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰み半分わざと垢だらけな着物を着て、こっそりここへ出入するというんだから、森本だってどんなまねをしたかわからないと敬太郎は考えた。  手紙の末段には盆栽の事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂(どうざかの植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載せておいて朝夕眺めるにはちょうど手ごろのものです。あれを献上するからあなたの室へ持っていらっしゃい。もっとも雷獣とそうしてズクは両人とも極めて不風流ゆえ、床の間の上へ据えたなりほうっておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上がり口の土間の傘入れに、僕のステッキがささっているはずです。あれも価格からいえば決して高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあのステッキをあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だから決して御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満州ことに大連ははなはだいい所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかにないでしょう。思い切ってぜひいらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄のほうにもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当のお世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら」(《風呂のあと 十二》pp41-42)
 状袋へ名あてを書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮かばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽係森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼をはばからなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせるわけにもゆかなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂の中にかくした。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段を下まで降り切ると、須永から電話がかかった。(《停留所 七》p59)


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作成日:2002年7月8日(月)