魯迅公園 [lu3 xun4 gong1 yuan2]
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■堀田善衛:『上海にて』[B133]
中野重治、山本健吉、井上靖、十返肇、本多秋五、多田裕計の全員が、虹口公園にある魯迅の新しく大きな墓を見に行った。私は行かなかった。講演のための原稿を書かねばならなかったせいもあったが、そうでなくても、私は行かなかったろう。なにかの写真で、私はその墓が巨大な魯迅の像をともなったものであることを知っていた。だから行かなかったのではない。(《魯迅の墓》pp117-118)
ところで、解放後に、中国は、この小さな、つつましやかな墓をやめることにして、虹口公園に、巨大な魯迅像をつくり、そこに骨をうつした。それはいわば魯迅個人の墓ではなくて、死んだ魯迅が中国人民の歴史と意志のなかにうつしおかれたということを意味する。それはそれでいい。魯迅個人の死とその墓が、中国人民の歴史と意志のなかにうつしおかれたということほどに光栄にみちたことはないであろうということも、私には、わかる。が、そこで私は一つ、つまずく。それがそうなったのならば、それは光栄にみちたことだから、私はと言えば、私はごめんを蒙ります、という気持になる。私の気持ひとつでもって、ことをとりきめることは不遜なことであるにきまっているが、私にはそこらあたりに、なにやら近代、現代の中国の歴史と、近代、現代の日本の歴史との決定的なちがいを見る気がするし、従って未来もまた決定的にちがったものとしてもつであろうと思わせるものがひそんでいると思う。われわれのところでは、文学者芸術家の石碑なんぞがいくらたとうとも、それは決して魯迅の新墓のようなものとしては成り立たない。それは文学者芸術家としての質と歴史における在り方がちがうからなのだ。歴史がちがうのだ。
ともあれ、私は魯迅の巨大な新墓を見に行くことをしなかった。(《魯迅の墓》p122)
◆ イエイエ上海 ◆ ホームページ ◆ 更新日:2001年4月4日(水) |