1996年6月16日(星期日)

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怡保のチャイナタウン

[新チャイナタウン]
◇怡保の新チャイナタウン◇

怡保は華人が63%を占め[ML16-1]、市街地のほとんどがチャイナタウンである。街の真ん中を流れるキンタ川 (Sungai Kinta)を挟んで、イポー駅のある右岸が古くからのチャイナタウンであり、左岸が新しいチャイナタウンである。現在の市の中心は左岸の方であり、今夜の宿もそっちにある。

左岸のチャイナタウンは、前述した市場と、小さいショッピング・センターがひとつと、あとは個人商店やコーヒーショップが並ぶ典型的地方都市といった風情である。

Yik Foongというあまり大きくないショッピング・センターをのぞく。冷房はなく、どの店でもチャイニーズ・ポップスがかかっている。各店ごとに違う曲がかかっているうえに、これ以上はないという大音量である。CDの値段はRM38(約¥1700)前後で、やはりKLと同じくらいだ。

別のスーパー・マーケットに行き、おみやげなどを買う。レジに並んでいると、マレイ人の青年が、子供用の靴を持って文句を言いに来た。レジの華人のおねえさんは、マレイ語でまくしたてている青年に向かって負けずにマレイ語で応対していたが、その後、同僚の華人と話すときは広東語だった。マレイシアではマレイ語が唯一の公用語で、教育も基本的にマレイ語で行われており、華人も大部分は一応しゃべれるらしい。しかし、異なる民族どうしが接している場面を見ることは少なく、華人がマレイ語を話すところをまともに見たのは初めてだった。

マレイシアを旅していると、常に相手が何人か、何語で話すべきかを考えなければならないのでけっこうたいへんだ。しかしこれは旅行者に限ったことではなく、マレイシアの人はいつもそうしているんだろうなぁと思う。だから、当然相手が何人かを見抜く能力には長けていて、台湾や香港のようなほとんど中国人しか住んでいない場所に比べ、日本人だとわかってしまうことが多いのだろう。しかし、慣れていない私たちには、相手が何人かを判断するのは思ったより難しい。特に、髭を生やしていないマレイ人と華人、ムスリムのインド人男性とマレイ人の区別はつきにくい。

屋台街の叉燒飯★★★

新市街の東の方の、Jl.Sultan Idris Shah近くの屋台街に夕食に行く。どの店にしようか物色しながら歩いていると、屋台を手伝っている子供の勧誘がすごい。叉燒が吊ってある店を選び、女の子に引っ張られるようにして座る。ここは野外の屋台街であるが、飲み物屋台が(かなり強制的に)飲み物を提供しているホーカーズ・センター方式であり、Tiger(RM8.60/大瓶=約¥380)にありつくことができた。叉燒飯を注文(RM2.50/皿=約¥110)。

今日は冷蔵庫のある最後の夜なので、何か飲み物でも買って帰ろうと思ったのだが、Ipohにもコンビニエンス・ストアがないようだ。あいている商店もなかったので、諦めて帰る。

マレイシアのテレビ番組

マレイシアのテレビはあまり娯楽番組がなく、今までは、ニュースや台湾製と思われるドラマなど、華語の番組があればそれを、なければマレイ語のニュースなどをなんとなくつけていた。しかしさすがに日曜日は娯楽番組が多いようで、昼間もオーディション番組のようなものをやっていたし、夜も香港映画やドラマをやっている。先日ちらっと見たマレイ語のドラマでは、都市を舞台にしているのに、都市の多数を占める華人が全く出てこない、お金持ちのマレイ人のお話で、不自然な感じがした。今日は、広東語をしゃべっている華人が出てくるドラマをやっていたので、こういうのもあるのかと思っていたら、実は事件をドラマ風に再現する番組で、マレイ人女性が華人男性にレイプされた事件だった。テレビをちょっと見ただけでいろいろ解釈するのは危険だが、かなり偏っている気がして、これでいいのかと思ってしまう。

Ipohの印象

怡保の華人は、90%以上が広東人と客家人だということだが[ML6]、昼間の街市やスーパー、屋台街など、どこもが広東語の世界である。子供が屋台やコーヒーショップを手伝っているのは、Ipohに限らずあちこちで普通に見られる光景だが、今までは子供も華語を話していることが多かった。ここは、観光地ではないせいかもしれないが、子供も大人も広東語一辺倒で、やたらとまくしたてる。こっちが明らかにわかっていない様子を見せても、そんなことはおかまいなし、変に華語や英語に切り替えたりしない。その媚びない姿勢は気持ちよく、けっこうこの街が気に入った。

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更新日: 1999年2月14日(日)